Together to Tomorrow

あしたにむかって -aki's blog-

2010年06月

6月30日
夏至(21日)が過ぎ、太陽も真ん中を通り終えました。
夏越の祓(なごしのはらえ)
この日は一年のちょうど半分にあたる大きな節目で、「大祓(おおはらえ)」が行なわれます。「大祓」は年に二回行なわれ、もう一つの「大祓」は12月大晦日の「年越の祓」です。「夏越の祓」では、半年間の罪や穢れを托した人形(ひとがた)を祓い浄めたり、、これからの無病無災を祈願して「茅の輪くぐり(ちのわくぐり)」が行なわれます。この季節、神社に設えられる藁でできた大きな輪。
「水無月の 夏越の祓 する人は 千歳の命 延ぶといふなり」
と唱えながら輪をくぐるそうです。友人と『田無神社』へに出かけ、家族の分も「夏越の祓」をして参りました。神社は多くの方でにぎわっていました。「水無月」という三角形のもっちりとしたお菓子をいただきました。

tinowa


7月『長月』です。
ますます暑くなりますが「七夕」や「土用」のうなぎ、「蛍狩り」「花火大会」と、夏らしい季節がやってきますね。

「家事の記録」 時枝俊枝女監督 作品
を拝観して・・・

おおよそ1時間半の記録映画に夢中になりました。
飾りっけのない映像であるのに、スズさんの手にかかる道具や物は魅力的で活き活きとしています。てきぱきと清清しいほどに家事をこなす、優しく、力強く、年を重ねた皺々の、美しい手。昭和の時代には当たり前だった家事仕事が、わたしにとっては憧れにも感じました。主婦という立場に正々堂々と居られることも 羨ましく思います。家族の笑顔を思い、一人静かに、穏やかに手を動かす丹念な時間・・・何年も何十年も。
縁側にござを敷き、軒下の自然の光を受けながら、穏やかの過ぎていく時間。庭の草が風で重なる音に、初夏の蝉の鳴き声に、学校帰りの子どもの声に耳をかしながら、喜ぶ家族の顔を思い、ひと針、ひと針と…大変に見えますが幸せそうなお仕事です。誰かに褒められたいわけでもなく、主張する訳でも無く、日々積み重ねられる手技。そこに「愛」を感じるから、その多忙さは「心地よい忙しさ」に映りました。

今日、私たちは多くを求め過ぎた生活にいると思います。より広い住まい、類似した沢山の物、時間を短縮する機能、多すぎるスケジュール、逃げ場の無い携帯電話。どれもこれも、この数十年に増えました。
便利を追求しつづける人間。それらの社会観から一線を引くほど否定的ではありませんが、考えさせられ、気付かされます。簡素な住まいでも、清潔に整っていれば家庭は引き締まります。お父さん お母さんが忙しすぎ、心を磨り減るまで仕事に時間を捧げなくとも良い方法。たとえ家族の時間がたっぷりあっても、愛がなくてはなりません。家族の思いやりある幸せ、普通の幸せ。


わたしは季節を感じる生活が好きです。
家族を喜ばせたいという気持ちが自然に働きます。
日本の年中行事は素晴らしいと思います。
ささやかなことしか出来ませんが、快感です。
先人のお話を聞かせていただき、手仕事を実践することも喜びです。

「着物を解(ほど)く 」
「洗い張りをする」
「夏掛け布団」
「おはぎ」

2010年6月27日 あんだんて(枝川先生)主催 多摩友の会2Fにて
次の上映会には、同世代にも是非見ていただきたいと感じます。

昭和の家事を記録した『家事の記録』上映会
時枝俊江監督作品
 昭和のくらし博物館館長の小泉和子さんの母親スズさんがお元気だった頃、岩波記録映画の監督 時枝俊江さんが三年かけて撮影した作品です。昭和の日常の家事仕事の記録として大変貴重な映像です。監督ご本人もいらっしゃいます。
日時 6月27日(日) 11時
場所 多摩友の会2階 (安楽寺から1分)

suguri



こだわりの思惟

「どうせ一度は死ぬ」という
このことばにこだわりながら
わたしは五月の緑のなかを歩く

約束の出遭いも ともにする仕事も
虚しくなって桜は散った

焦点のさだまらない視点と
こだわりの思惟に追われて
せめて信濃の山にいこうと
一度目 からまつはまだ冬木立
二度目 芽吹きのライトグリーン

いつもならもっと美しい季節に
心おののくはずであるのに
「どうせ一度は」と反芻しながら
断ちきれない何かがわたしを捕えて
生命のゆくえを追う不遜(ふそん)のいとなみ

しかしとうとう しかしと考える
かつて野上弥生子の
ペンをもったままの死を羨望した

ならば校正の朱筆をもっての死は
大往生というのだろうか

親にももちえなかった思いを
いつかは越えなければならないだろう
五月の光さし わたしは透明になる

1992年5月 (祖母80歳時)

 

早春

早春がくると思いだす

武蔵野の丘を
手をつないで駆けていったわたしたち

水色の空のもと
風の寒さも気にならない若さ

丘の上に 私たちは
小さなアトリエをみつけた
そこにあなたが住む
いつか私も住むかもしれない

若い幸せが
あふれそうなそれからの八ヶ月

美しさや純粋や真実を
そして何よりも愛をしった

六月 大きな富士のふところに
抱かれて眠った三ツ峠の
からまつの芽吹きの音に
結んだ夢のやわらかさ

愛しあっていたいたはずなのに
戦争の足音が近づいてきた頃

その人はさよならもしないで
フランスにいってしまった

唇をかみしめたが泣かなかった私
でも忘れることはできなかった

待っていてとひとこといってくれたら
私は何年も待っていたでしょう

戦争を生きて
その人はひとりで日本に帰ってきた

黙っていったヒトに
九年の年月をかけることができなかった

わたしは声をたてずに泣いた
とめどなく泣いた

また平和がゆらぎ始めてる
それがわかるほどおとなになったが

もうやさしくなくなった私のなかに
なおも灯をともす早春の思い出

1952年2月 (祖母40歳時)

鈴木初江 1912年(大正元年)‐2002(享年89歳)
今日は祖母の八回忌。一緒に暮らした祖母は素敵な女性でした。生涯の編集人であり、詩人でした。その人生観に励まされたく、時々詩集を手に取ります。
官僚の父の長女として生まれ、幼少時代は住居を転々とをしていたそうです。幼少時代は身体が弱い文学少女、その当時から同人誌のようなもの自作し「少女の友」などに盛んに投稿していたと残しています。日本女子高等学院(昭和女子大)を終了し、編集者としてキャリア時代をすごしました。戦後、中野区新井薬師から狛江村に居住(昭和28年)。私活動では、詩を通じて平和活動や反戦運動を行っていました。
わたしの見る祖母は、ほっそりとしたシルエットに、藤色のベレー帽を傾け、藤色の服に身を包むいでたちでした。ロマンチックでエレガント、死ぬまで少女心を持つ女性でしたが、その身体に似合わぬ熱い情熱の持ち主でもありました。時にはひっそりと悲しみの表情見せることも。現実から一線をひきながらも、現実を見つめていました。

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今朝は枇杷の収穫、たくさ〜ん採れました。今夜、お誘いいただいたホームサロンにお持ちしようと思い、枇杷のコンポートを作りを作りました。皮をむくのが一手間でしたが、ラム酒とレモン汁を加えて美味しく出来ました。そのままで、洋酒で割って、ヨーグルトにかけて・・・みなさんに喜んでいただけたら嬉しいです。


biwa
まだまだたくさんあるので、近所や知人に配ったり、父は「枇杷酒」を漬けました。枇杷は身体にもよいそうです。

iwasaki 
向夏、昼下がりの「旧岩崎邸」

海運行(「三菱商会(後の郵便汽船三菱会社)」)で財を成した岩崎弥太郎氏が、ジョサイア・コンドル(英)に設計を託し明治29年に完成した洋館です。
今に残る当時の華やかさは、威厳を感じさせながらも、エレガントです。手仕事のすばらしさにはじっくり手間ひまをかけている様子が伺えます。旧岩崎邸に関しては、個人的に『和館』の方が好きです。贅沢三昧な素材づかいと、職人の技が存分に発揮された明治時代の日本建築文化財だと思います。壁紙には全面和紙が使われていますが、120年前の経師技が今も健存です。洋館に初めて感激したのはいつの頃だろう…小学校に上がる前におじいちゃんに連れられた「上野博物館」だったように思います。旧帝国ホテルは明治村で見ました。箱根の富士屋ホテルも好きです。

くちなし
梔子(くちなし)の花が香しく咲きました。高貴で可憐な花です。切り花で家に飾ると、酸味と甘みとバニラのような香りを放ちました。梔子の実は、お正月のおせち料理「栗きんとん」の色づけに使います。白い花が散ると、黄の色素を蓄えた実がなります。とてもきれいな色。梔子の実は独特の多角形の造形美を持ちます。話は飛びますが、「将棋盤」の脚の多角形は『梔子の実』を見立てているそうです。早速、祖父が愛用していた将棋盤を見てみました、なるほど・・・。将棋は無言の真剣勝負、「口無し」から「くちなし」の実がモティーフになったそうです。
くちなし・・・可憐な香りを放つのは、口下手で恥ずかしがりやさんだから?

kaijyo 
都心の夜景、 住宅街の静かな光、コントラストが神秘的。
東京の夜景を、わたしは美しいと思います。夕涼みの風景に、あら?今晩の東京タワーは青く光ってる・・・何かのイベントでしょうか? なぜか、屋上や高いところを見つけると上がって行きたくなる性分があります。誰しも、所有しない自分の場所がいくつかあるでしょ。

 

つきのぼうや.jpg

 

つきのぼうや

作・絵:イブ・スパング・オルセン
訳: やまのうち きよこ
福音館書店

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