ネパール地震の発生からもうすぐ3週間になります。
ヒマラヤの麓では多くの方々が命を落とされました。慎んでご冥福をお祈りいたします。


現在、現地では住まいを失った人々が野宿を強いられている状況です。インフラの整わない生活に慣れているネパール人でも、標高1,200mに位置するのカトマンズ盆地は、日照時間をすぎると冷え込みが強くなり厳しい状況が続いていることと思います。もともと停電が多いので、発電(高低差を利用した水力発電)には限度があり、また、きれいな水の補給にも困難を強いられていることと察します。現地の様子は報道メディアでは伝わりきれていないように感じています。


地震発生直後、ロクタ紙の輸入元の会社とはすぐに連絡がとれ、ファミリー、スタッフはみな無事だということでした。しかし、ネパールのことはずっと気がかりで、何か出来ないか…、なかなか行動に出られずにいました。
昨日、会社から、家を失った人々に家を作るための基金(ファンド)を設立すると連絡が入りました。ぜひ協力してほしいと。

山々に囲まれ、小さなコミュニティーで暮らすネパールの人々。
素朴で連帯意識の強い民族性は、今回の災害には大きな強みとなっていると思います。
また、ヒンズー教の教え「輪廻転生」を信じる彼らは、信心深く現世での行いに最善を尽くそうとします。

ネパールにはさまざまに民族が混在しています。
輸入元の会社ファミリーはネワリー族です。
ネワリー族はカトマンズに高等文化を開いた古い民族で、カースト制では最上層に値します。
カースト制度は差別というとらえ方ではなく、民族固有の仕組みだと考えています。
上層の人々は経済を動かし、下層の人々に仕事を与えることが出来ます。
また、それで得たお金で人々は暮らしを立てることが出来ます。
今回のファミリーからのヘルプは、まさにこの仕組みが役に立つのではないかと信じています。


カトマンズの中心部は都市そのものが世界遺産に登録されています。
そのため、改修をすることが困難で、人々は何ともノスタルジックな素焼きのレンガの家で暮らしていました。中世のヨーロッパを彷彿させるのような町の風景は、お話の中のようです。しかし小さなレンガを泥で積んだ家の壁は、今回のような大きな揺れに耐える造りではありませんでした。


ネパールと関わりを持って14年、はじめは場所さえピンと来なかったヒマラヤの小国。
ロクタ紙を通じて、ネパールの人々、文化、風土に触れてきました。
私にとって、ロクタ紙との出会いがあったからこそ、今日があったと言っても過言ではありません。
ネパールへは過去、5回訪れました。
先進国の日本に住みながら、途上国のネパールと関わることは、私の視野の平均値を養うことにも通じました。
3年前、我が国は東北の大部分に大きな地震災害を浴びました。
復興活動は今も続いています。
自然災害が起こる場所は選べません。
しょうがないと言いつつ、でも人間には助け合うことが出来ると思っています。


私の所属するSimoon(シムーン)でも、取引会社を通じてネパールに援助をする心づもりでおります。可能な限り、寄金活動もしたいと思っています。詳細はもう少し後からのお知らせになると思います。


時間はかかると思います。平常な生活が人々に戻りますよう。


                      すずきあき (丸山亜紀)



過去記事 「ネパールという国」(2001編)
ネパール(2001〜2015編)